江戸時代「奈良井千軒」と宿場の繁栄ぶりを
時代と共に語り継がれ、今なお古(いにしえ)の
たたずまいを残す木曽奈良井宿。

「ゑちごや旅館」は、
寛政年間創業以来200余年の今日現在奈良井宿唯一の
旅籠(はたご)として営業しております。

日常の喧騒から離れ、江戸時代当時の旅に出た気分で、
ごゆっくり思い思いのひとときを
過ごしていただけたら幸いと存じます。

皆様のご利用をお待ち申し上げます。



ゑちごや旅館 正面
ゑちごや旅館 客室
ゑちごや旅館 正面
えちごや

えちごやの歴史

木曽山脈と霊峰御嶽山に挟まれた清流木曽川を沿って走る中山道木曽路。
江戸と京都を結ぶ交通の要所としての他、
伊勢参りの参拝客の多くがこの街道を往来しました。
木曽路中11の宿場町の1つ奈良井宿は、
当時最大の難所鳥居峠を間近に控え 多くの旅人が峠越えに備え休み、
宿を取る重要な宿場町として栄えてきました。
当館も創業当時から現在に至るまで旅籠を専門にしている宿場唯一の旅館であり、
時代をゆっくりと重ねながら多くの文人墨客を迎え入れてまいりました。

旅籠行燈(はたごあんどん)

玄関口「ミセノマ」の旅籠行燈は江戸時代につくられた総欅造の行燈は一本の釘を使わず造られました。
多くの名も無き旅人たち、島崎藤村、正岡子規、といった文豪、更に野麦峠を越えてきた飛騨の工女たちも柔らかな光を放つこの灯りを見て心を和ませたと伝えられています。

銭箱と寛永通宝

日銭を入れるために使用。上の穴からお金を入れると下の箱がそれを受け入れる仕組み。 通宝は銭形平次でおなじみの当時の通貨。

懸硯

硯、そろばん、帳面入れと帳場に必要な道具一式が入った木製の箱。 現在でも小物入れとして重宝されています。

講の招き看板

江戸時代後期、お伊勢参りが盛んになり一般の旅行者が増えると、優良旅籠を集めた「講」(組合)が結成されました。 加盟した旅籠は入口に講元(代表者)から配られる招き看板を出し講に入った旅人は鑑札(会員証のようなもの)を持って旅をしました。 鑑札を持って講の招き看板を目指して旅をすれば宿泊に困らないシステムを作りました。 当旅籠はお伊勢参りの講以外にも御嶽講の参詣グループの指定宿でもありました。

一新講の定宿帳と鑑札

当旅籠は一新講という組合に入っていて帳面に講中の旅籠として紹介されていました。 現在も当旅籠に残っている鑑札は一新講の講元から配られた鑑札です。

鉄道の開通

1909(明治42)年塩尻から奈良井まで中央本線が開通した当時の記録写真です。 客間の近くを走る風景は現在も変わっておらず当時を知る貴重な資料です。